「ちゃんと聴かなければ」と思うほど、相手の話を聴けなくなることがある。

何か良いことを言わなければ。相手の気持ちを正しく理解しなければ。悩みを解決しなければ。

そんなことを考えているうちに、目の前の人の言葉より、自分が次に何を話すかへ意識が向いてしまう。

小倉広さんの『すごい傾聴』を読んで、僕が最も大切にしたいと思ったのは、完璧な聴き手になることではなかった。

分からないのに、分かったふりをしないこと。

「ごめん、まだ十分に理解できていないかもしれない」と正直に伝え、もう一度、相手の話に耳を傾けること。

傾聴に100点はいらない。

必要なのは、目の前の一人に誠実であろうとする姿勢なのだと思う。

相手に寄り添える人になりたい

僕は以前から「傾聴」という言葉が気になっていた。

相手に寄り添い、「この人になら話しても大丈夫」と思ってもらえる人になりたい。その思いの原点には、中学2年生のときの出来事がある。

中学2年生のとき、クラスメイトを亡くした。

当時の僕は、そのクラスの学級委員長だった。彼女とは少し話したことがある程度だったが、亡くなったあと、「少しでも話を聴けていたら」と何度も考えた。

もちろん、僕が話を聴いていれば結果が変わったとは言い切れない。彼女が何を感じ、何を抱えていたのかを、僕が勝手に決めつけることもできない。

それでも、もっと周りに目を向けられなかったか。僕から声をかけることはできなかったか。少しの時間でも、話を聴くことはできなかったか。

その後悔は今も残っている。

だから僕は、これから出会う人に対して、話を聴ける人でありたいと思っている。

ただ、話を聴くとは、黙って相手の言葉を聞くだけではない。

『すごい傾聴』は、そのことをより深く考えるきっかけをくれた。

傾聴とは、相手と一緒に「追体験」すること

本書では、傾聴を、相手の言葉を聞くことではなく、その人が経験したことを一緒に「追体験」することとして捉えている。

何が起きたのかという事実だけを確認するのではない。

その場にどんな人がいたのか。相手は何を見て、何を聞いたのか。その瞬間に、どのような感情が生まれたのか。

相手がたどってきた経験を、言葉や質問を通して一緒にたどっていく。

そのためには、相手の話を自分の経験に当てはめすぎないことが必要だと思う。

例えば、相手が「つらかった」と話したとき、自分にも似た経験があったとしても、同じつらさだとは限らない。

置かれていた状況も、関係していた人も、その人が大切にしていたものも違う。

そこで「分かるよ。僕も同じだった」と簡単にまとめてしまえば、相手にしかない経験や感情を見落としてしまうかもしれない。

大切なのは、分かったつもりにならないことだ。

「そのとき、どんな気持ちだった?」
「もう少し詳しく教えてもらってもいい?」
「僕はこう受け取ったけれど、合っている?」

そんな確認を重ねながら、相手の世界を理解しようとする。

理解したと宣言するのではなく、理解しようとし続ける。それが、僕の考える傾聴に近い。

良い人を演じるより、正直でいたい

本書の中で特に心に残ったのは、「良い人」を演じず、素の自分で相手に向き合うという考えだった。

僕はこれまで、誰かに良く見られるために、意識的に良い人を演じてきた感覚はない。

それでも、相手の話を聴く場面では、「自分は理解できている」と早く示そうとしてしまうことがあるかもしれない。

相手を安心させたい。会話を止めたくない。何か役に立ちたい。

そう思うからこそ、本当はまだ分かっていないのに、うなずいたり、分かったような言葉を返したりする。

けれど、それは表面的には優しく見えても、相手の話に誠実な態度とは言えない。

分からないのであれば、分からないと認める。

「ごめん、まだ十分に理解できていないかもしれない」

そう伝えたうえで、もう一度聴かせてもらう。

この言葉は、聴き手としての未熟さを隠さない言葉でもある。しかし同時に、「あなたのことを決めつけたくない」「もっと正確に理解したい」という意思を伝える言葉にもなる。

何でも理解できる人を演じるより、理解できていない自分を認めて、相手に教えてもらう。

その正直さが、信頼につながるのだと思う。

自分の考えを伝える前に、数秒待つ

僕が傾聴するうえで改善したいのは、相手が話し終わる前に、自分の考えを伝えてしまうことだ。

相手の話を聴いている途中で、「こうしたほうがいいのではないか」「自分ならこう考える」と、答えが浮かぶことがある。

そして、相手の言葉が途切れた瞬間に、自分の考えを話し始めてしまう。

けれど、その沈黙は、話が終わった合図とは限らない。

相手が次の言葉を探している時間かもしれない。まだ言えていない本音を、話すかどうか迷っている時間かもしれない。

これから僕は、相手が話し終わったと感じても、すぐに話し始めず、数秒待つことを意識したい。

わずか数秒でも、相手にとっては「急かされていない」「まだ話してもいい」と感じられる時間になる。

そして会話が終わったとき、「最後まで聴いてもらえた」と思ってもらいたい。

良いアドバイスを渡せたかどうかより、話を途中で奪わず、その人の言葉が最後まで尊重されたかどうか。まずは、そこを大切にしたい。

教育の場に、傾聴を仕組みとして取り入れる

この学びを、僕はにいみ塾や、これからつくりたいフリースクールに生かしたい。

不登校の子どもや保護者は、それぞれ異なる経験や悩みを抱えている。

同じ「学校に行けない」という状況でも、理由や気持ちは一人ひとり違う。人間関係に悩んでいる子もいれば、学習、体調、環境など、複数の事情が重なっている子もいる。

だから、「不登校の子どもはこう感じている」と一つにまとめてはいけない。

目の前の一人が、どのような時間を過ごし、何を感じてきたのかを聴く必要がある。

そのために、定期的な1対1の時間を設けたい。

ただし、面談の時間を用意したからといって、必ず話さなければならないわけではない。話したくない日は、無理に話さなくてもいいというルールにする。

対面で話すことが難しい場合は、オンラインでも相談できるようにする。言葉で気持ちを説明することが難しい子とは、農作業などを一緒にしながら、自然に言葉が出てくるのを待つ。

そして、支援する側が「自分は傾聴できている」と思い込まない仕組みも必要だ。

子どもや保護者から、「話しやすかったか」「途中で遮られたと感じなかったか」「分かったふりをされなかったか」など、聴き方について感想をもらう。

聴き手の自己評価だけで終わらせず、相手の声をもとに改善していく。

傾聴を個人の優しさやセンスだけに任せず、教育の場を支える共通の姿勢と仕組みにしたい。

傾聴で100点を目指さない

相手の気持ちを、完全に理解することはできない。

うまく質問できない日もある。自分の考えを早く話してしまうこともある。相手の感情を読み違えることもある。

だからこそ、傾聴で100点を目指さなくていいのだと思う。

大切なのは、「自分は聴ける人だ」と思い込むことではない。

分からないときは、分からないと伝える。話を遮ってしまったら、謝ってもう一度聴く。相手の反応を受けて、自分の聴き方を振り返る。

完璧な聴き手であることより、目の前の人を理解しようとすることを諦めない。

僕は、中学2年生のときの後悔を消すことはできない。

けれど、その経験を、これから出会う人の話を聴く姿勢に変えることはできる。

目の前の一人に関心を持つ。言葉の奥にある経験や感情を、一緒にたどろうとする。最後まで話してもらえるよう、少し待つ。そして、分かったふりをせず、誠実に向き合う。

もし、誰かの話をうまく聴けなかったとしても、それで終わりではない。

「ごめん。もう一度、聴かせてもらってもいい?」

そう言って、相手のもとへ戻ればいい。

傾聴に100点はいらない。

目の前の一人を大切にしたいという姿勢があれば、何度でも聴き直すことができるのだから。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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